楽譜の紙吹雪

 もう一度理論からやり直して。だいすきな楽曲を自分の中に取り込んで食べる時間に入ろうと。また気持ちをなんとか、こねて重ねて思っています。

 二年前にも一度理論の勉強をした。その時賢明にやったことは今でも僕の土台にしっかりある。感覚以外の方法論を増やしていかなければいけない。

 気持ちの良い言葉。コード。進行。リズム。理論。もらったものを積んで積んで。積み木の立派な町を立てられるようにがんばろうと、決意がふわふわと浮き上がっているので文字にしてブログに残してみている。なんとかがんばれあしたの自分。

 

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 音楽を作って聞かせたかったのは結局のところ誰だったのかと言えば。自分自身を自分自身で認めるために作っている。自分に価値を見いだせなかったので、作った楽曲が価値のあるべきものであったらいいと中学校くらいに思って。それは褪せないままに作り続けてきた。制作速度はいつだって遅いけれど、20歳を越えてから形にしたどの作品も

。決して二度聴けないようなものは作ってこなかった。

 

 誰かのために音楽を作ったところで、その人のことを歌ってところで。物語のように感動して、喜んでもらえるとは、そういえば思っていない。

 

 自分だって「君のための曲なんだ!」とか誰かに言われて、どんなにクオリティの高い曲でもしんみりとした良い感じの歌でも、あっさりと自分に受け入れられる作品であることはこの先の人生ないだろう。

 

ひどく個人的なものにひどく個人的に身勝手に好き勝手に同調する程度で良い。

ただ、そこに僕が入り込める良い感じの空間が置いてあったら嬉しい。

 友人二人と会話をしながらそんなことを思った。

 

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 文章を毎日書くのは割合楽しい。作曲はあんまり進んではいない。いつだって書きたい気持ちはあるし。毎日ギターを弾いて、ピアノを触って音楽に触れようとしているんだからそのうちふっと浮かぶだろう。それより、浮かんだときにしっかりと曲を着地させてあげられるように、手をひいて新しい場所までつれていけるように。

 本当はもっと出来る子なんだから、その舞台を整えられるようにがんばりたい。

 

 擬人化は便利な手段だ。結局、長ったるく書いたところで僕の気持ちの悪い自問自答だと思う。わかっているのにやめられないってウルフルズが言っていたので、それを信じてみようと思う。またあした。